本日、武道学園の稽古に中国からの来訪者があった。
中国で剣道場をご自身で持って運営しているとの事。
40年来剣道続けているとのこと、たぶん七段の方と推察した。
その方は、始めと終わりの礼法時に、一番の下座に正座された。
剣道の国際化ではなく、日本剣道の「国際的普及」の良い見本と
感じた。
他の道場に訪れたときの立ち振る舞いがその人そのものを
映し出すように思える。わが身を省みて、身が引き締まる思いがする。
傲慢な態度ほど見苦しいものは無い。
本日、武道学園の稽古に中国からの来訪者があった。
中国で剣道場をご自身で持って運営しているとの事。
40年来剣道続けているとのこと、たぶん七段の方と推察した。
その方は、始めと終わりの礼法時に、一番の下座に正座された。
剣道の国際化ではなく、日本剣道の「国際的普及」の良い見本と
感じた。
他の道場に訪れたときの立ち振る舞いがその人そのものを
映し出すように思える。わが身を省みて、身が引き締まる思いがする。
傲慢な態度ほど見苦しいものは無い。
昨年も今年も、関東学生剣道連盟の剣道セミナーに参加した。
その時の学生の大半の意見として、、、、、、
剣道の国際化ではなく、日本剣道の国際的普及が必要との事。
なかなか良い意見である。見直した!
「国際化」となると、変わる必要がある感じがする。
変えてまで剣道を国際的にする必要は無いのではないか!
だから、今の「日本剣道」をそのまま普及させたい。
「理念」「一本の定義」「礼法」「稽古法」などなど。
理想を言うと、打突した本人「打ち切った」、と同時に打突された相手が「打たれた」、
とかんじた打突が一本ではないでしょうか?
対戦を判定する審判だけでなく、観客も含め、
「一本」である打突とうならせることも一本かもしれません。
みなさん、いかがでしょうか?
では、この一本の感覚を日本以外の他国の方に理解してもらえるのでしょうか?
というか、どうしたら理解してもらえるのでしょう?