役を引き受けるということ

直接的に「礼法」とは結びつかないかもしれませんが、

私は、複数の剣道の連盟や団体の事務局をお手伝いしております。

ある意味「公的な役」を引き受けることの決意の無い方を

よく見かけます。

ほとんどの連盟や団体の「役」、たとえば会長や理事、評議員、幹事などは

無給のボランティアで構成されております。

無給だからといって、「できる範囲の会議や事業、大会への参加」、ではなく、

すべての会議や事業、大会に参加する決意を持って「公的な役」を

引き受けていただきたい。

会議でも中心とならなくとも清き一票を有する評議員なら、

その「権利」と同時に「義務」が発生しております。

誰かが運営するだろう・・・・・では、日本の政治と同じではないでしょうか?

剣道を真理を志すものであれば、なおさらです。「礼法」と重なります。

この記述はとてもあいまいな表現ですが、「公的役員」は決意を持ってください。

 

「のる」って?

本日の武道学園での岡村先生からの教えは「のる」でした。

剣道では良く「相手にのる」という表現をします。

「相手の刀より上に乗ることにより、うち来ることができる」ことを

意味しているのでしょうか?

本日の稽古は、相手の刀や竹刀ではなく、自分自身の打突が

のっているか、のっていないか、、、、のものでした。

そのためには、

1)まず、肩を入れた大きな打ちで真ん中に打突する。

2)打突の際、竹刀の弦が良く見え、そこに腰をいれ体重をのせる。

3)打突後は、腕を上げず、諸手は肩の位置ですり足ですり抜ける。

4)上級者は、小さく手の内だけでも「のる」ことができる。

 

難しい。意外とできません。

技術が未熟な私は、近間での攻防が不利なため、

遠間から打ちに行くしかない、遠間だと腰のはいりが不十分で

手打ちになりがちとなる、よって、「のる」打突が難しいわけです。

自分の未熟さを痛感しました。

 

一本って?

理想を言うと、打突した本人「打ち切った」、と同時に打突された相手が「打たれた」、

とかんじた打突が一本ではないでしょうか?

対戦を判定する審判だけでなく、観客も含め、

「一本」である打突とうならせることも一本かもしれません。

みなさん、いかがでしょうか?

では、この一本の感覚を日本以外の他国の方に理解してもらえるのでしょうか?

というか、どうしたら理解してもらえるのでしょう?

試合に勝つということ

先日、大学での部内試合がありました。

その際、ある学生が一本を取られ、その瞬間に

「竹刀」を床に激しくたたきつけました。悔しくて!

『気持ちはわかる。でもそれはいけない。』、思わず試合をとめ、

厳重に注意しました。失格です。

第16条の審判と相手に非礼な行為ですから。。。。。。

ところが、その後が、問題です。

私たちが学生時代、厳しい指導を頂いた先生、先輩には、

逃げ出したい気持ちを乗り越えて、かかっていくのが常識でした。

試合直後の稽古に、その注意した学生が稽古に来るのを

楽しみにしていましたが。

もう2ヶ月になりますが、話しかけても無視。

さてどうしたものか?

地元九州の中学・高校時代の先生は世界選手権で優勝した

剣道の達人との事ですが、「剣道の何をおしえていたのでしょう?」

皆さん、アドバイスおまちしております。